環 設計図

環3

制作要旨

 常日頃感じる。人間は面白い。どんな人でも表面に出る自分と、思考の中を蠢く裏の自分がある。そして、どうしても裏の表情というものは、どれだけ隠すのが上手いとしても滲み出るものであって、隠しきれない。むしろ隠そうとする人ほど、隠しているものは表情に刻まれている。たとえ表が善で裏が悪であろうと、又その逆であっても。
悲劇(本人にとってだけの)に見舞われた人が誰かにその内容を伝える時、『私は何故こんなにも哀れなのか』という話であれば、その裏には、悲劇に見舞われた人の勝手な価値基準、自己中心的な考えである事が多々ある。
ものすごくいい事をした時、もし誰にも何も言われなかったらどうだろう。いい事だったのだろうか。もしかすると深く傷つける行為だったのかもしれない。何が良くて何が悪いのかさえもはっきりとは言い切れない。
私は人間のそうした厭らしさや情けなさや惨めさ、不安定さが好きだ。そのような部分を否定しつつ肯定し、露呈する作品を作ってきた。しかしいくつか作品を作っていくうちに何か違和感のようなものを感じ始めるようになった。なぜなら、嫌らしさや惨めさを『覗く』制作スタンスは、主観が自分自身でしかない、つまり自分自身が他との関わりを断ち、こちら側から見えたものだけを抽出するという閉鎖的な行為であると。作品を作る行為とはそういうことかもしれないが、それではあまりにも稚拙な傍観者ではないだろうか。そして現実から離れ過ぎていると。そして現実を作りたい、閉鎖された部屋から出て今在る自分を表現したい、そう考えた。

 そうして辿り着いたのが『環』である。環に託するものは人間という存在の儚さ、哀れさや空しさ、残酷さや惨めさ、愛おしさや、美しくもあり醜くもあるというようなこれらの感情がもたらす様々な亀裂と深まり。それらを形作る人と人との繋がり。繋がりがあるからこそ人は『人』ではなく『人間』である事が出来るのではないだろうか。『人』と『人間』の違いは、『人』というのは、あくまで生物的分類、虫、鳥、と言うものと同じで『人間』と言うのはその『人』と『人』の間で関係を築いていく、又は壊していくということだ。そしてまた新しい関係を築く、つまり、他と交わる事で初めて人間と言える事ではないだろうか。
人に影響を与えるものとは、人はもとより、街、風景や音、思想、宗教、つまり環境ではないだろうか。そして環境というものは一つの要因では何一つ成り立たないものではないだろうか。
 私は、人間は環境で創られると信じている。環境とはバランスで、それぞれに役割がある。個を見つめるのではなく全体を眺めたい。その為には自らの周辺を大切にしなければならない。そうした時に、そこには美しい環が見られるのではないだろうかと考え、『環』に至った。

 人を表す為に五角形のパネルを用いる事にした。人の体は五肢に分かれている。また五行や五体満足といった人にまつわる意味合いが多く含まれる。その五角形のパネル同士の支え合いで環を形成させる為に同一形状の五角形とし、又同一形状というのは人にはそれほど格差はない、というような意味合いもある。そしてその環を形成する五角形パネルの個数は15個とした。数的に美しく見える個数と、割り切れない環にする為である。人間関係の環であるので、そう簡単に割り切られてしまうものではないということを含めるためである。そしてその環を自立させることによって初めて一つの環境になるのではないかと考え、そのためには個々の五角形が自立する事が必要なので、パネルの厚みを厚くし、バランスを保つようにした。つまり人の厚さがないと環は成り立たないという、意図するものに付随する意味合いを加える事となった。そして支え合う為にはそれぞれに手が必要であり、その連結のためにダボ(穴と穴をつなぐ差し木)を取り付けた。しかしその環を成り立たせる為にはもう一つの要因として設置面の平滑さというものがある。そのために土台を作る事となった。この土台は例えるなら大地、地球と言う事が出来る。そうする事によって全てのものの関係性、一つでは意味がない、それぞれに役割があり必要である環境に辿り着けたように思う。
そして五角形パネルの内部には、人形を入れることにした。これは五角形パネルの人の感情を表せるよう自由にポーズをとれる可動式のものにしている。その人形を計16体作り、それぞれのパネルに入れ、1体を外に出しておく。そしてその1体を見る人は自由にポージングし、五角形パネルに入れる。中にあった人形は外に出され、新たに感情の受け皿として見る人を待つ。人形を入れた人は、人形を入れた五角形パネルに自分を重ね、後日再び見る時に、内部の人形が人との関わりでどのように変わったかを目の当たりにする事が出来る。つまり見えないような関わり=環を見る事が出来ると言う事だ。
展示の際、見る人が関わる事によってこの環は初めて環となるという事を意図している。

 環はどこまでも広がっている。それを感じていたい。